2019年07月22日

障害年金更新の手続き期間に少し余裕が

今までは更新の誕生月前月の月末ぐらいに提出用の診断書が届いて翌月末までに提出、と1ヶ月ぐらいしか余裕がなく、診断書が届いて、病院の診察の予約をとって、病院に診察(測定)に行って、診断書書いてもらうのに最低でも1週間ぐらいかかって、診断書を病院までとりにいって、郵便ポストに出しに行って…とかなり厳しい日程だったのが、今年から3ヶ月前に提出用の診断書が届くように変更になったそう。
やはり、必要になることがあらかじめわかってるのに1ヶ月前に必要書類の送付じゃ短すぎるというクレームが多かったのだろうなぁ…
ラベル:障がい者
posted by one-hand-engineer at 13:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月11日

心の底の「無念だ!」の思い

が全くない。
奥さんに「愚痴も泣き言を一言も言わないでえらい」と言われるけど、全てを取り払っても心の底に「無念だ」という気持ちがあまりない… (入院中も介護士さんに「昼間は平気そうにしてても、夜中にこっそり泣いてたりするんでしょ?」と聞かれたことあるけど、夜は熟睡してました)
全くない、というのはちょっと言い過ぎで「もうバイク乗れないんだな」とか「もう旅行にも美味しいもの食べにも行けないんだな」という残念な気持ちは当然あるし、しびれとかふらつきとか手足の震えとか痛みとかは正直なんとかならないもんかな、とは思うけど。

「何で俺なの?」ともあまり思わない。
あまりいい会社を選ばなかったなぁ、とか、サラリーマンは上司や仕事を選べないからなぁとか、自分の血管弱かったんだなぁ、とは思うけど。
「奥さんや子供がなってたら無念だったろうけど自分でよかった」ぐらいしか思わない。
「自分は大丈夫と思っていても病気になるときはなるよ」と同年代の人には言いたいけど。

小学生の頃「750ライダー」や高校生の頃「バリバリ伝説」を読んであこがれてた大型自動二輪の免許も(30過ぎてから)とってリッターバイクにも乗ったし、パラグライダーを買って空も飛んだし、ドローンが流行る20年以上前からラジコンヘリを飛ばして遊んでたし、元々旅行はあまり好きじゃないけど海外にも出張含めて数十回は行ったし、子供も真っ当に?に育ったし、奥さんは結婚して20年以上経ってもあいかわらず面白いし(面白いとか言うとまた怒られるんだろうな…)
中学生の頃からいつか中身を理解したいと思ってたコンピューターも当時の8ビット機程度だったらCPUからFPGAで作れると思うし、知らない人が自分が設計したコンピューターをいじってるのを横で見てニヤニヤしたいという夢もかなったし、何人かの人の記憶には好意を持って覚えててもらえてるだろうし、「無念だ」というほどのやりたいことももうないかな、というのが本当に正直な心境で、「像の墓場」のようなとこがあれば行って横になりたいぐらいのもの。
あとは若い世代に任せて、老害にならないうちに消えていく方が個人的にはいいかな、と。
もっと若かったら違ったと思うけど、役職定年も近かったという年齢のおかげというのが大きいでしょうな。

病気直後からそう思ってて、10年後の今もそんな感じだけど、10年後はどうなってるかな。 
たぶん変わってないような気はするけど…
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2019年07月10日

「タイムレス」

http://www.bd-dvd.sonypictures.jp/timeless/

最近はまってた海外ドラマ。(他は「the 100」「Hum∀ns」あたりか。 「ホルト・アンド・キャッチ・ファイア」ははまらなかった)

元々タイムトラベルものは好物で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は好きだし日本だと「JIN」なんかも好きだし、主人公の歴史学者の女優さんは「SUITS」でハーヴィの元カノのスコット役の人だし、元デルタフォースの軍人役も「パーソンオブインタレスト」のリースにちょっと似てて格好いいし。

初回がヒンデンブルク号の事件で他の回もリンカーン暗殺とかアポロ11号とかアラモ砦とか私でも知ってるような有名な事件ばかりが現場になるわけだけど、歴史に詳しかったらもっと小ネタがわかって面白いんだろうな、と思う。
アラモ砦の事件で最後にジェームズ・ボウイ大佐からナイフをもらう、とかデイヴィッド・クロケットが毛皮の帽子をかぶってたのですぐわかったとか、あとでググってなるほどそういう意味だったのかとわかるネタが多くて、ちょっと歴史の知識不足で面白さをわかりきれてないんだろうな、と思ってちょっと残念。(アポロ11号の回なんかは、「おおジーン・クランツだ」とか映画にもなった黒人女性の人だとかわかってちょっと面白かっただけに)

シーズン1の最終回まで見たのだけど、シーズン2に続く気まんまんで、すっきりしない終わり方。
ここらへんが1クール完結前提で人気が出れば続編という日本のドラマと大きく違って、よくもあり悪くもあり…
日本のドラマの続きは映画館で、というTVシリーズの終わらせ方が最悪だけど。
ラベル:TV/映画
posted by one-hand-engineer at 14:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月27日

なんのために生きるのか

重いタイトルだけど、たいした内容はありません。

ちょっと前にやったNHKスペシャルの「安楽死」の回を見たり「君たちはどう生きるか」という題名が心に残っていたり、ブログで「自分にとって生きるとは働くこと」と書いてるのを読んだりしていろいろ考えてたのだけど、結局まとまるわけもなく、ダラダラとヤマなしオチなしイミなしで書いてます。

まず、「安楽死」「尊厳死」について。
(参考:「彼女は安楽死を選ぶしかなかったのか」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65395

自分はどちらかというと賛成派だったのですけど、実際番組を見てたら最後ちょっと悲しかったので(残された姉妹の姿に)やっぱり人間の意志の介入なしで自然に任せるのがいいのかな、と思ったり、といいつつ自分も人間にも「象の墓場」みたいな誰にも邪魔されない死に場所がないかな、と思ってたりもするわけで、自分の意見も定まらないような問題で社会のコンセンサスをとるのは難しいだろうなぁ、と結局「何もしない(延命措置をしない)」選択肢があればいいかな、というのが自分的な落とし所かな…
(ちなみに有名な「トロッコ問題」(トロッコがそのままの進路を進むと3人轢いちゃうけど、進路を変えると1人轢くだけで済むときに進路を変えるべきか?という問題)も自分は何もしない派(理由はそれが”運命(確率的に定められた宿命)だから特に介入しない)

病気になると「なぜ生きるのか」という問は多くの人が考えることだと思います。
特に脳卒中のような後遺症で介助が必要な病気になると。

私は割と早い段階で「残りの人生はアディショナルタイム」で終了のホイッスルが鳴るかレッドカードで退場になるまではプレイ続行(ルールの範囲内で自分がベストと思うことをやってりゃいいやと)と決めたので社会への貢献とか家族への迷惑とかで悩むことはあまりなかったのだけど、”死生観”って人それぞれですからねぇ…

自分は「仕事」は食ってくためのもので、できれば自分の興味のあること好きなことで他人の役にも立つものが好ましい、程度の考えなので働けなくなっても特になんとも思いませんでした。
というか、病気になる前5年ぐらいの仕事はクソのような仕事(言葉が悪いな うんちのような仕事)だったし、周りを見ても将来こうなりたい、というロールモデルになるような人はいなかったし、「生きるとは働くこと」とは病気以前から考えてなかったですね。「働くのは自分の時間の切り売り」と考えてました。

生きるとは「基本的人権の”健康で文化的な最低限度の生活”を享受するために”納税””勤労””教育”の義務を果たすこと」程度で。
今は通勤できないから”勤労”が弱いよなぁ… 
”納税”は毎年ちゃんと確定申告してるし(収入少ないから還付金が返ってきちゃうくらいだけど、あまり悪いとは思わないです 儲かってる人が払えばいい 自分も儲かった時には払うからお互い様)
”教育”は義務教育は終わったし、大学のあと数年分の学費ぐらいはなんとかなるでしょう。

そもそも病気する前から、大学時代に行った水族館でクラゲが水流に翻弄されてぐるぐる回り続けてるのを見てて「こいつ何やってるんだ」と思いながら、人間も同じで個々の個体の生き方にそんなに意味はない、マクロに見て人類が存続すればいい、種としての生き方は遺伝子レベルでプログラミングされてるから、それに従って生きるのが一番。と生きる意味については自分なりの結論が出てしまっていて今でもあまり変わってなかったのでした。
まぁ、それじゃあまりにも夢がないので、いろんな人がきれいなラッピングを考えてるので自分が信じられるもの信じたいものを信じればいいと思うけど。
大学生の頃から今までの長期間、病気で死にかけてもブレてないから結構いいとこ突いてるんじゃないかと思ってます。

しかし、長くて読みにくい文章だなぁ… 
なんか、活字中毒で海外に行っても読めない外国語の新聞や雑誌読むの好きだったぐらいから書く方もなのかもね。
ネットのなかった時代は読むものがなくて、海外のホテルに一人で宿泊してた時、施設案内とか観光案内のパンフを読みあさった後、引き出しの中の聖書まで読んでたことがあるから筋金入りよ。

添削するなら、「尊厳死の話」と「生きる目的の話」と「活字中毒の話」3つに記事を分けて、一文は短く、()で書き忘れたことを加えるのはやめて、句読点は正しく打ちましょう、と流し読みしただけで言えるけど。
posted by one-hand-engineer at 13:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月25日

うちのかみさんがね

ちなみに”かみさん”って呼び方をしたことは一度もないです。”嫁””細君”もないですね。
知らない人には”妻”で、知人には”奥さん”が多いですね。

直接呼ぶときは結婚前は”旧姓+さんづけ”で呼んでたので結婚後は呼べなくなってしまって、割とすぐ子供できたのですぐ”ママ”になってしまいました。
子供が中学生ぐらいになったら”お父さん””お母さん”呼びに変えないと恥ずかしいかな、と思ってたのですが、子供が成人した今もお互い”パパ””ママ”呼びのままです。

なんでこんな話になったかというと、私が倒れて昏睡状態が1週間ぐらい続いたときに、看護師さんから「声は聞こえてるかもしれないから呼びかけて」と言われて、普段名前で読んだことないので呼び方に困った、という話を聞いてて、逆に奥さんが倒れたときも名前で読んだことないから名前で読んでも認識されないかもしれないし、いい年して”ママ”もちょっと恥ずかしいし、どう呼んだらいいんだろう、困るなと考えたことがきっかけでした。

ふざけて下の名前で「〇〇のルールは厳しいから…」とか下の名前で言うときもあるのだけど、呼びかけに使ったことはなくて、普段は「ねぇ」とか「ママは?」とかで済ましてしまってるからなぁ… 
孫が生まれたら「じぃじ」「ばぁば」になるのかな。果たしてそんな日がくるのだろうか…

昨日ちょっとした事件が起こったのだけど、若い警察官から「お父さん、お母さん」と呼ばれて、近所の散歩で知り合った人からは「お兄ちゃん」と呼ばれてまだまだ若いつもりでいたけど、「お父さん」と呼ばれる年だよなぁ実際、と自覚させられました… 
子供には「パパと同じ年ぐらいの初老の男性に」とか言われるし…
posted by one-hand-engineer at 19:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする