2015年06月17日

死生観を問いなおす・完

死生観とはすなわち「私達の生や死がどういう意味を持っているか」ということで、「生は一時的なもので意味が無い」と考えると虚しくなっちゃうから「死んだ後で復活があり永遠の生がある」(キリスト教)とか「輪廻転生して次の生がある、解脱してその輪から抜ける方法もある」(仏教)とか「永遠」についての考え方が死生観の根幹をなすと言ってもいいでしょう。
日本人なら、死んでも千の風になって見守ってるとかお盆には茄子の馬に乗って帰ってくる。という考え方が合ってるんじゃないかな。
自分には親がいて、その親にもまた親がいて、先祖代々のつながりがあって、自分の後にも子がいて孫がいて(自分に子供がいなくても兄妹や親戚に血の繋がった子供がいて綿々とつながっていく)という永遠性。悪いことをしたら先祖が悲しむし、自分たちの子孫にいい世界を残していこうというような考え方。
ということで、お墓参りして盆踊りを踊ってれば「永遠」ですわ。
以上、死生観の問いなおし完。(ちゃんと考えたい人は広井良典さんの本を読んでみて下さい。たいして年も違わないのにこんな文章書いてるのが恥ずかしくなってくるわ…)
posted by one-hand-engineer at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月16日

法的に有効なの?

ライザップの返金保証の「効果が全然でないことを双方で協議の上納得できること」という条件が結局全く返金の保証になってないじゃないかと一部で問題になっているようですけど(前からちょっと気になってた → http://one-hand-engineer.seesaa.net/article/416871811.html )他に法的に有効なのかどうか気になっているのが
「(1) 当社は、ユーザーへ事前に通知することなく、本規約の変更を行うことができるものとします。
(2) 当社は、変更後の本規約を当社のウェブサイト上で公開し、公開された時点からユーザーはその規約に同意したものと看做します。」
という利用規約。
規約をサービス提供者の都合のいいように一方的に変えることができて、ウェブに公開した時点で利用者は同意したものとみなすって、いくらなんでもそれは無茶でしょう、と思うのだけど…
結局このサービスは使ってないですけど、他のサービスでも似たような利用規約を見たことが有ります。
ソフトバンクも利用者の同意をとらずに利用規約規約を改定して問題になってましたけど…
法律に詳しい人の意見を聞いてみたいものです。

Microsoftはさすがですね
「新しい規約と声明は、2015 年 8 月 1 日をもって発効します。2015 年 8 月 1 日以降も引き続きサービスをご利用になった場合は、新しい条項に同意されたものと見なします。同意されない場合は、8 月 1 日までにサービスのご利用を停止し、Microsoft アカウントを削除してください。」
規約に変更がある場合は連絡して同意するかやめるか決めさせるのが正しいやり方でしょう。
有償サービスの場合は解約の場合は返金も必要でしょうね。
posted by one-hand-engineer at 09:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月15日

死生観を問いなおす

一度死にかけると(1週間昏睡状態で瞳孔が開きっぱなしになるとろこまでいった 医者に不普通なら死ぬ確率の方が高いと言われたらしい)死生観を問い直したくなるわけで、自分の場合は入院してた頃に「今日寝たらもう目が覚めないかもしれないなとか毎晩思ってたけどそれほど怖いとも思いませんでした。むしろ片麻痺でしんどいので死んだ方が楽でいいな」ぐらいに考えてました。
そう考えるのも普段から「生きることに特別な意味は無い」とか「死んだ後に何もなくなるだろうけど自分の知ってる人(家族、友人)が生きてる間ぐらいの間憶えててもらえてたまに思い出して悪いやつじゃなかったとぐらいに思ってもらえればいいかな」程度の死生観だったからなのかなと思います。
永遠に存在したいとか天国とか極楽浄土に行きたいとか全くなかったので。

一度死にかけると”スピリチュアル”なものにはまる人も多いみたいです。
幻覚を見て不思議な経験もするし。(私は黒い全身タイツのネズミ顔の小人を見たぐらいだったけど)
自分は、神道とか仏教とか宗教の知識があまりにも欠けてるのでもう少し勉強しておけばよかったと思うぐらいなのですが、宗教的なものへの興味は確実に増しました。
まぁ、別に知識がなくても心は平穏だったからいらないといえばいらないけど。

結局、自分の関われる範囲の人を幸せにすることを考えて、ありのままを受け入れて、相対的でなく自分の基準で幸せに過ごせられれば生きてる意味はあるのかと。
でも、身体が痛くないことが前提なんだよねぇ…痛いと余裕がなくなってなかなか幸せな気持ちになれなくなってしまう…
歯が痛いだけでだめでした…
posted by one-hand-engineer at 10:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月13日

無線LANのタダ乗りを電波法違反で検挙

てっきり「不正アクセス禁止法」違反かと思ってたら「電波法」違反ですか…
電波法の「無線通信の秘密を漏らし、又は窃用した者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」というのって本来は盗聴して知った秘密を暴露した場合の罰則で、WEPのパスワードを盗聴して使うというのとはちょっと違うような気もするけど、不正アクセス禁止法は「アクセス制御機能を持つ電子計算機」への不正なアクセスで無線LANのルーターは”電子計算機”には該当しないから電波法にしたのかな?
WEPとかWPAにパスワードをつけてないと”無線通信の秘密の窃用”にも該当しなくなっちゃうからパスワードつけるのは絶対に必要ですな。
ラベル:時事ネタ
posted by one-hand-engineer at 12:05| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月12日

「死生観を問いなおす」



宗教と哲学の違いとか永遠って何って話とか時間って何とかいう話とか。

死生観を問いなおしている最中なのですが、なんとなくモヤっと考えてることを明確に文章化してくれてるから頭がいい人の書いた本を読むのはいいですな。

私はキリスト教の直線的な死生観(死んだ後で復活があって永遠がある)とか仏教の円環的な死生観(輪廻転生があって、そこから逃れるには解脱しないとならない)とかいうのが納得行かないから、http://one-hand-engineer.seesaa.net/article/296318396.html とか自前で宗教を定義するなんて難儀なことしないとならないから不幸だよなぁ…

”全知全能の神なんていない。 特に祈ると願いを聞いてくれたり下々の生活を見守ってるような存在なんていない” ”死んだら無になる(時間も感情もなくなる)” って考え方だから既存の宗教はどれも合わないんだよねぇ… 昔の人は多少矛盾を感じても解釈の仕方で宗教の方に自分を合わせてるからえらいよなぁ。
まぁ宗教なんて生きることの苦しさから少しでも楽になれりゃいいんだから自分で考えたものだろうと2千年の歴史があるものだろうと何でもいいと思うのだけどね。無理に既成の宗教に合わせなきゃならない必要はない(合わせたほうが楽だとは思うけど)

政治と宗教のことは書かない方がいいんだっけ? ま、考え方も変わるかもしれないし、今はこう考えてるというだけで、別にいいでしょう。
変なやつと思うぐらいにとどめておいてもらえるとうれしい。面倒だから議論はしません。それぞれ信じられるものを信じればいい。

この本はいい本です。
文系の先生のようだけど科学にも詳しい。
ビッグバン以前に時間が存在したかどうかっていう疑問、今はビッグバン直後は虚数の時間っていう考え方が導入されていてビッグバン以前は時間もなかったって考えられてるんだって?なんだよ虚数の時間って。もう理解の範疇を超えてるわ…
ラベル:本/マンガ
posted by one-hand-engineer at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

会社の看板

定年退職した人が個人で仕事を始めたら会社の看板のおかげでちやほやされてたと思い知ってさびしくなったという話を聞きますけど、会社にいた頃からそんなものに頼ってたつもりはなかったのでなくなっても何とも思いませんでした。たまにTVのCMとかでロゴを見たりすると懐かしく思うぐらい。(旧所属はリンクをたどって昔とった特許とかをみるとばれちゃうんですけどね…言うつもりもないけど別に隠すつもりもない)

今はWelfAppの看板を一人で背負ってますけど、welfapp_logo.png2年前はググっても0件なのを確認して名前をつけたのだけど、今ググってみたら800件以上になってました。
目指せ1万件。
ラベル:起業
posted by one-hand-engineer at 09:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

マス広告の死亡

居間でTVを見てる横で子供らはPCでイヤフォンでニコ動を見てる。
でも出てる人を言われても誰それ?って全然知らない。
youtubeが広告料を下げたらしいけど、youtubeを見る層(小学生が中心らしい)にどれだけ広告を見せてもお金を出す大人の購買行動には全くつながらないのでさもありなん。
今までのマス向けの広告手法は通用しなくなって個人向け広告へシフトが起きているんだろうなぁ広告業界では。
posted by one-hand-engineer at 08:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

日本人向きの宗教観

日本人に「宗教」は要らないを読んでて思ったこと。
病気で死にかけると、生きるってなんだろうとか、後遺症で痛かったりすると痛いのに生きる意味ってあるのかな、と考えるようになる人は多いでしょう。
私も昔よりよく考えるようになりました。暇だしね。

私の宗教的バックグラウンドは、初詣に行ったり田舎じゃ仏壇に仏様用のごはんを置いたり、法要でお経を聞いたり、お墓参りに行ったり、日本人によくある神道と仏教をごちゃまぜにしたものに聖書を読んだり礼拝でお説教を聞いたり賛美歌を歌ってるふりをしたりしてキリスト教をふりかけたようなもので、いわゆる「無宗教」ってやつです。
勧誘されると面倒くさいので「ルルブ教」の熱心な信者を名乗ってますけど。

日本人に合ってるのは「ご先祖様が見守ってくれる」「近所の人と助けあって悪いことせずに地道に生きてると死んだ後で天国にいける」って宗教観じゃないですかね。
ご先祖様も含め八百万の神様がいるからキリスト教の神様もユダヤ教の神様もイスラム教の神様もいておかしくない。
八百万の神様それぞれに正しさがあって唯一絶対的に正しい神様なんていないから、みんな、それぞれが信じる神様を尊重してなかよく助けあって地道に生きましょう、みたいな。

ところで、なんでつらいのに死んじゃいけないのかというのに対する私の解釈。
つらいからって死んじゃうと生きる意味なんてもともとないことが周りの人にばれちゃうから。
種の存続のためにそれはとても不利。なので本能的に死んじゃうのはよくないとプログラムされている。
本能には逆らうのはなかなか難しい。
生きる意味なんて”種の保存”の一点で全部突破できるんじゃないかな。あまり心踊るような考えじゃないけど…
いや、それでも生きますよ。生きてると面白いこともあるし。たとえその”面白い”が本能にプログラムされたものだとしても。

あ、私、「君は哲学者のようだね」と言われたことがあります。
posted by one-hand-engineer at 11:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「日本人に「宗教」は要らない」



日本人女性と結婚したドイツ人住職の書いた本
日本にずっといると気づかないけど外から見るといろいろ気づくこともあるんだなぁ、と思う。

日本人に宗教は要らないというのは、特定の宗教じゃなくても生活の中に宗教的なものが根付いてるから。
日本人は宗教には無関心であるが決して否定はしてない非常に寛容な宗教心を持っている。

日本人は「精神的に貧しい」とは決して言えない。 信仰心を盾にしながら戦っている欧米人よりも豊かな精神性を持っているのではないか。
宗教で喧嘩をしないし善意の押し売りをしない。

仏教は宗教ではなく哲学ではないかと欧米では論じられることがある。
仏教は苦難に満ちた人生をどう生きるべきかの教えであり人の生き方を問題としている。
このようなことを考えることは欧米では哲学の領域。
でも哲学とは決定的な違いがある。
頭の中だけで考えてるのではなく「実践」に重きをおく。
人とのつながりを大事にし自然と共生する。
日本では生活の実践の中に宗教心があふれている。
宗教心があふれているからこそ他宗教に対しても寛容になれるし、宗教を理由に他人を否定する必要もない
外国の「無宗教」は神様は存在しないという頑なな信仰。
「日本の「無宗教」とは意味合いが違う。
生死の苦しみから逃れて涅槃という彼の地へ渡ることが仏教の修行の目的ではない。
「今私とあなたが生きてるこの生死がそのまま涅槃だった」という気づきこそが仏教。

何かいい禅の入門書ないかなぁ…
鈴木大拙の「禅と日本文化」でも読んでみるかな
ラベル:本/マンガ
posted by one-hand-engineer at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月08日

Androidアプリ「NDscanner」リリース

iPhone版では一部からは”神アプリ”認定されている非破壊自炊アプリ「NDscanner」のAndroid版をリリースしました。
残念ながらAndroid版はOpenCVの制限で解像度が低くなってしまってますけど…
Androidのアプリ作りは始めて2週間ちょっとなのでまだまだおかしなとこが残ってるかもしれません…
Android版は有料版はやめてインターステーシャル広告にしてみましたけど、ちょっとうざいかも…
最初にOpenCV Managerというコンピュータービジョンのライブラリをインストールさせられます。このライブラリを使ってページめくりの検出をやってます。
https://play.google.com/store/apps/details?id=org.opencv.engine&hl=ja

画像ファイルはSDカードの/NDscannerの下に保存されます。
ContentResolver.insert()はちゃんとやってるのにギャラリーへの登録が遅いような気がするのはそういうものなのかなぁ…

解像度が低すぎるのでJavaCameraViewを書き直してPictureSizeを高解像度の設定ができるようにしてくれる腕の立つ人を募集中。

(追記:2017年にAndroid版の提供は終了しました)


うーん、リリースした後でなんだがオートフォーカスって勝手に効くんじゃないのか??ピンぼけしてるぞ??
ギャラリーへの反映も再起動後みたいだし… やっぱまだいろいろ変だな…
→だめだDesireだとAutoFocusがうまく動いてないみたい Zenfoneは大丈夫みたいだけど 機種によるんだろうなぁ… ギャラリーへの反映のタイミングもなおらん… Android難しいな すぐ"強制終了"になるし…

おまけ:「NDscanner開発裏話」
http://one-hand-engineer.seesaa.net/article/410166760.html
ラベル:アプリ製作
posted by one-hand-engineer at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする