もう古くて埋もれてしまって探すのも大変ですが、当時書いたものが残ってます。
「退院 2010年05月22日」
http://one-hand-engineer.seesaa.net/article/278722808.html
「退院したときの感想(退院1週間後くらい) 2010年05月31日」
http://one-hand-engineer.seesaa.net/article/278723385.html
当時を振り返って、今年の3月頃にも
「退院してからが大変」
http://one-hand-engineer.seesaa.net/archives/201803-1.html
こんな記事を書いてますね。
最初は救急車で救命救急の病院に入院して、1ヶ月後に回復期リハビリ病院に転院して、5ヶ月後に回復期リハビリ病院を退院、という感じでした。
急性期病院を1ヶ月、回復期病院を3ヶ月で退院や転院のプレッシャーがきつくなる事情はこの辺。(まぁ、いい方に解釈すると、治療を必要としてる人のためになるべく早くベッドを空けてあげよう、という国の方針なわけですが)
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20140822-OYTEW54591/
https://rucca-lusikka.com/blog/archives/540
回復期病院を退院した頃は、まだ夜間は車椅子でトイレに行くことも許されずおむつと尿瓶を使わされ、日中だけ病棟内を歩行器を使ってなんとかトイレまで移動することが許可されてた状態での退院でしたのでさすがに少し不安もありました。(ちなみに、半年の入院生活でおむつで排便は一回もできませんでした… 簡単そうに見えて相当難しそう 心理的障壁?)
まぁ、自宅に戻らず長期療養可能な病院に転院するという選択肢がないわけではなかったのですけど、私はどんなに辛い目にあっても病院を出たい、という一心で自宅に戻ることしか考えていませんでした。 自宅が無理なら、どこかアパート借りて押し込んでもらって週1,2回でも食料差し入れてくれればいいとかほざいてました。
一番の理由は病院食がまずいことでしたけど、あとはあげればキリがないくらい入院生活には辟易としてましたので。
6人部屋で同室の半数以上が認知症のお年寄りで、話ができるのは年齢はかなり上ですけど脊椎損傷で入院してた人ぐらいだったり、夜中に「タンクローリーが燃えてる」と大声で騒ぐおじいさんがいたり、食事中もポータブルトイレの臭いが充満してたり、毎朝1時間ぐらいの電気ひげ剃りタイムの騒音がうるさかったり、同室にペースメーカーの人いないことや(携帯電話で誤動作したペースメーカーが数十年前の1機種で距離も数十cmと密着状態だったことは知ってましたけど一応)周囲数m以内には医療機器がないのを確認して携帯電話で静かにネットを見てただけなのに「今度病室で使ってるのを見つけたら取り上げる」と看護師にギャーギャー言われたり、夜はトイレにも行かせてもらえず尿瓶使わされたり、3ヶ月以上の入院でかなり不満がたまってたので。
ラベル:脳梗塞