2019年07月11日

心の底の「無念だ!」の思い

が全くない。
奥さんに「愚痴も泣き言を一言も言わないでえらい」と言われるけど、全てを取り払っても心の底に「無念だ」という気持ちがあまりない… (入院中も介護士さんに「昼間は平気そうにしてても、夜中にこっそり泣いてたりするんでしょ?」と聞かれたことあるけど、夜は熟睡してました)
全くない、というのはちょっと言い過ぎで「もうバイク乗れないんだな」とか「もう旅行にも美味しいもの食べにも行けないんだな」という残念な気持ちは当然あるし、しびれとかふらつきとか手足の震えとか痛みとかは正直なんとかならないもんかな、とは思うけど。

「何で俺なの?」ともあまり思わない。
あまりいい会社を選ばなかったなぁ、とか、サラリーマンは上司や仕事を選べないからなぁとか、自分の血管弱かったんだなぁ、とは思うけど。
「奥さんや子供がなってたら無念だったろうけど自分でよかった」ぐらいしか思わない。
「自分は大丈夫と思っていても病気になるときはなるよ」と同年代の人には言いたいけど。

小学生の頃「750ライダー」や高校生の頃「バリバリ伝説」を読んであこがれてた大型自動二輪の免許も(30過ぎてから)とってリッターバイクにも乗ったし、パラグライダーを買って空も飛んだし、ドローンが流行る20年以上前からラジコンヘリを飛ばして遊んでたし、元々旅行はあまり好きじゃないけど海外にも出張含めて数十回は行ったし、子供も真っ当に?に育ったし、奥さんは結婚して20年以上経ってもあいかわらず面白いし(面白いとか言うとまた怒られるんだろうな…)
中学生の頃からいつか中身を理解したいと思ってたコンピューターも当時の8ビット機程度だったらCPUからFPGAで作れると思うし、知らない人が自分が設計したコンピューターをいじってるのを横で見てニヤニヤしたいという夢もかなったし、何人かの人の記憶には好意を持って覚えててもらえてるだろうし、「無念だ」というほどのやりたいことももうないかな、というのが本当に正直な心境で、「像の墓場」のようなとこがあれば行って横になりたいぐらいのもの。
あとは若い世代に任せて、老害にならないうちに消えていく方が個人的にはいいかな、と。
もっと若かったら違ったと思うけど、役職定年も近かったという年齢のおかげというのが大きいでしょうな。

病気直後からそう思ってて、10年後の今もそんな感じだけど、10年後はどうなってるかな。 
たぶん変わってないような気はするけど…
posted by one-hand-engineer at 09:05| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
泣き声は聞きましたねぇ。。。
Posted by さかどくん at 2019年07月12日 07:42
退院後に出て来る様々な後遺症。補そう具杖で歩いての退院でしたが、ケイシュクや痺れの増加など自宅なので、どういうものかと悲嘆怯えてましたが、自分だけでは無かったと、安心しました
Posted by 老いた新人脳梗塞 at 2019年07月21日 10:55
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: