2019年08月31日

それぞれの最終楽章

朝日新聞土曜版に「それぞれの最終楽章」というコラムがあって(http://www.asahi.com/apital/column/saisyu/ )終末期の看取りの話が載ってるのですけど、多少キリスト教色が強いのがちょっと気になるのですけど、実際の体験にもとづいたいろいろな死の間際の人の話が読めて参考になります。

今日のは「病気の自分は何もできないから人に迷惑をかけるだけで生きる価値がない」と思ってた人の話で、「有用性」「生産性」を重視するのは現代の多くの人が持つ価値観、人生観じゃないかと思うのですけど、こういう価値観だと病気になったり、老いたりすると生きる意味を見失ってつらいだろうなと思いました。

私は「一見何の役にも立ってないようでも実は大切なものもある」と思ってるのと「生きることにそれほど意味はない」とか思ってるので、「何の役に立ってなくても口笛吹いて楽しく生きてりゃ、そういう人を見て「あ、別に自分も生きてていいんだな」と思うような人がいれば、それだけでも生きてる意味はあるんじゃね?と思うので、ちょっと気楽ですね。

「一見何の役にも立ってないようでも実は大切なものもある」というのは開高健が書いてた「ナースログ」という森の中に横たわってるだけの一見何も役に立ってなさそうな丸太も、虫の隠れ場所になっていたり、やがて朽ちて栄養分となり豊かな森を作る役にたってる、という話が頭の片隅に印象に残ってるからかな、とか思うので、全然興味のない作家の話でも何でも読んでおくのもよかったのかな、と思います。
誰かの役に立つとか生産性とかじゃなくて、道端の名もない花とかみたいに、ただ生きてるだけでも誰かの心に何か残るものがあれば生きてる意味はあるのかな、と思ってるので。

こんなこと考えるのも病気になって弱さを知って見えてなかったものが見えるようになったのかな、と思います。 強者にはわかるまい。死ぬ間際に悩めばいいさ。
posted by one-hand-engineer at 14:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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