2021年06月14日

「神は乗り越えられる試練しか与えない」

乗り越えられない試練もたくさんあるし、乗り越えられた人の言葉しか残らないから有名になっている言葉じゃないかなと思ってて、あまりピンとこない言葉です。
キリスト教的にも神は人に対して試練を与えるような存在じゃないと思うんだけどな、と違和感を感じますし。 キリスト教徒じゃないからよく知らんけど。(聖書は普通の人よりは読んでると思うけど)
この言葉を心の拠り所にしてる人もいるようなので、いい言葉だとは思うのだけど。
(神もキリスト教の神とは違うかもしれないし)

「ガンになったことを友人に伝えたら、『神様は乗り越えられる試練しか与えないから大丈夫』と言われて違和感を感じてしまった話」https://togetter.com/li/1730114
というのを読んで、私以外にも違和感を感じる人は多いんだな、と思いました。

で、疑問を持ったときには原典を当たれという主義なので原典を探すと、出典は新約聖書の「コリント人への手紙」のようで、10章にそれらしい文章があります。

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」

英訳版だと
”No temptation has overtaken you but such as is common to man;
and God is faithful, who will not allow you to be tempted beyond what you are able,
but with the temptation will provide the way of escape also, so that you will be able to endure it. ”

元はギリシャ語だかヘブライ語だかだったと思うのでこれ以上私には原典を追えませんけど、日本語訳はおそらく英語訳を元にしてると思うので英語訳を参考にすると、英語訳だとtemptationをtrialと訳している版もあるようで、この単語は聖書の他の箇所では”信仰がためされる試練”という意味で使っていることが多いので、おそらくその意味でしょう。信仰に対する試練(信仰を妨げる誘惑)という意味で、人生における試練という意味ではなさそうですね。
これならいかにもキリスト教的で納得いきます。
なんか世間一般の人が思ってるものとだいぶ意味が違ってるような気がしますね…

「神様は信仰を試すような試練(誘惑)を与えるけど、それに耐えられるように逃れる道も用意してくれる」の方がまだ正しいかな? あまり感銘も何も受けない言葉だけど、個人的にはこっちの方がいかにもキリスト教的でしっくりします。

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです」(ヤコブの手紙第1章)
私は、病気になった人にかける言葉としてはどちらかというとこっちを推します。
神は信じてないけどね。
posted by one-hand-engineer at 11:06| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
神は不公平です。
私はそう思ってます。
Posted by いちこ。 at 2021年09月15日 15:51
不公平というか、もし神みたいな存在がいるとしても、個々の人間なんて小さな単位では認識していなくて、「人類」とか「生物」とかもっと大きなくくりで管理しているような気がします。

プログラミング的にいうと個々のObjectでなくClass単位で、みたいな。

というか、全知全能の神様なんてものがいたらこんな戦争や事故や病気だらけ世界にはなってないでしょうね…
Posted by ka-ta at 2021年09月15日 17:25
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: