2023年12月28日

プログラミングをするということ

最近は、小学校で「プログラミング教育」が必修化されてるらしいですけど、個人的には情報リテラシーとコンピューターはプログラムで動いていることぐらいを知ってれば、プログラミングは”やりたい子だけやればいいんじゃない?と思ってて、それほど積極的に賛成でもないのでした。自分は小学生からプログラム書いてたけど…

最近、ネット界隈では割と有名な人が書いた
「自分を救うプログラミング」
https://sizu.me/naoya/posts/7vxkuwvowo0z
というのを読んで

”自分自身のためにプログラムを書くということを久しぶりに思い出して、没頭した。
ああそうだ、自分はこういう時間を過ごしたくてプログラミングを始めたんだった。それを思い出した。
プログラミングというのは自分を救うようなところがある。そしてプログラミングに限らず、一部の人間にとっては・・・かもしれないが、何かに没頭することは自分を救うところがある、そんな気がする。”

という一節を読んで、「あ、この感覚わかるなぁ」と共感したのだけど、作りたいものを作るという意味ではプログラミングも自己表現のひとつだし、プログラム書いてたら時間を忘れてた、という感じは今でもあります。

でも、最近、老眼で字が読みにくいとか目が疲れる、肩が凝る、とか、記憶力が悪くなって文法を憶えられないでいちいちググらないとならないとか、注意力が落ちて開発版をいじくり回してるつもりでリリース版のオリジナルのソースをメチャメチャにしてしまうとかのミスばかりで、老後に向けてもっと頭も目も使わない緩い趣味を見つけないとなぁと強く思う今日この頃なのでした。(今はiPhoneのアプリをたくさん改版して審査中でレビュワーと戦ってる最中だけど…)

外出できないで、片手で、目もよく見えないと選択できる趣味の幅がかなり減ります。
近所に猫がたくさんいる寺でもあればいいのになぁ…
posted by one-hand-engineer at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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